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仕事ではなく“生き様”
ロックに生きる、土鈴人形作家の宮脇弘至さん


土鈴(どれい)人形って何ぞや?? と思っているそこのあなた! うま子が説明しよう! 土鈴人形とは土を焼いて作った鈴のこと。古くから魔よけとされていて今も郷土玩具として各地にみられるんだって! うま子も最近知ったの~~レベルが10上がったわ!!

干支のねずみをイメージした土鈴人形

20代の頃から人形作りをはじめたという『豊泉堂』の宮脇弘至さんは、この道30年!! 一つのことをずっと続けるって、すごいことよね~。初めは普通の企業に就職したものの、「自分には合っていない」と感じて、人形作りへの道を歩むことになったんだって!

人形作りをする宮脇弘至さん

宮脇さん:僕の場合人形作りは仕事じゃなくて、そういう“生き方”なのよ。仕事は20代でリタイアしているから(笑)。だからといって趣味でしているわけでもなくて、もはや僕の人生だね!

うま子:かっこよすぎか~~! 人形作りを始めたきっかけは何だったの?

宮脇さん:僕は元々名古屋に住んでいたんだけどね。たまたまうちの義理の兄が大分に住んでいて、どこか務められるところはないか聞いたら、「『豊泉堂』っていうお土産屋さんが若い人を探しているらしいよ」と。無事そこで就職することになったんだけど、その問屋さんの中に人形作りをする職人さんがいたのよ。人形を作っている姿を見たら、「自分にもできそうだな、ちょっとやってみようかな~」と思って(笑)。そこからがはじまりだね。

うま子:自分にもできそうって思うのすごくない!?!? うま子は手先が不器用だから絶対無理~!

制作途中の南蛮鈴。商品として初めて作ったのも南蛮鈴だったそう

宮脇さん:「これぐらい僕にもできますよ」って、当時20代そこらの新米だった僕が職人さんに対してそんなことを発したもんだから、当然怒られちゃったけどね。「じゃあやってみろ!」って。

うま子:威勢良すぎるでしょ!(笑) それで、まさかまさか、作ることができたの…?

宮脇さん:一回だけやり方を教わってね。持ち帰って自分家で作ってみたら…これができちゃったわけよ。職人さんには「この技術を手に入れるまでに何十年もかかるのに! 」ってびっくりされたよ。そこから自信持っちゃったんだよね~。

うま子:いやいや、才能の塊じゃないの⁉ 1回だけでできちゃうのすごすぎだから! どれくらいの期間で完成したの?

宮脇さん:数か月だね!

うま子:はい、天才がここにいました~。そこから今の可愛らしい土鈴人形たちが生まれたのね! 人生何があるかわからないわ~!!

宮脇さん:今となっては、基本的な工程を一度教えてもらっただけだったけど、かえってそれがよかったんだね。職人さんに完璧に教えてもらうとなると、すべて同じ顔・形の博多人形みたいになっちゃうからさ。基本的な工程以外はオリジナルで創作したから、今みたいな人形が作れるようになったんだよ。

顔や模様などすべて一発書きでやり直したりせず、ほかの場所に色がついてしまってもそれを味として残しているんだそう

宮脇さん:そうこうしてたら『豊泉堂』さんが辞めるって言いだしてね。それなら僕が看板を引き継いで、人形だけを売るお店としてやっていきたいって伝えたの。「人形だけで生活できるの? 」ってみんなから心配されたけどね。やっぱり最初は全然売れなかったし、当時はお土産品=キーホルダーが主流だったから、こういう古いかんじの土人形は需要がなかったんだ。

うま子:いつ頃から売れ始めたの?

宮脇さん:お店を始めてから少し経ったくらいの時に湯布院ブームが来て、軌道に乗り始めたんだよね。でも、一番のきっかけは雑誌「BRUTUS」のお土産ページに載せてもらえたことだね。僕はその雑誌の愛読者だったんだけど、そんなコーナーがあることは知らなくてね。よく見たら一番最後の方に載っていたよ(笑)

うま子:雑誌から声がかかるなんてすごいじゃない!!

宮脇さん:でも最初は断ったのよ。オシャレな雑誌に民芸品載せても効果ないと思ったし、わざわざ東京から来る必要ないって。でも取材してくれる記者の方が僕のファンだったらしく、「ぜひ取材させてほしい」と。

うま子:記者さんの熱意に折れたのね!! そこがターニングポイントだったのかしら?

宮脇さん:そう! 掲載されてからはひっきりなしに家の電話が鳴ってね…しかも若い女の子たちから! (笑) 「BRUTUS」は男性向けの雑誌だと思っていたけど、彼氏や旦那さんが買っていて、その流れで読む女性が多いのをその時に知ったよ。それからはテレビに出演したり、メディアへの露出が多くなってね。全国区になれたのは当時取材してくれた彼のおかげだよ。

雑誌に掲載したのは「福獅子」という商品。比べるとよくわかるんだけど、現在の福獅子と全然違うフォルムなの! 昔は鋭利な感じでエッジが効いていて、それがだんだんまんまるになってきて、表情も優しくなってきているんだそう。大きさも今の方が大きいんだって!

雑誌「BRUTUS」に掲載された当時の福獅子。最初のころはニスを塗ったりもしていたという

現在の福獅子

うま子:今も昔も、可愛いのは変わってないわよね。人形作りで心がけていることはあるの?

宮脇さん:人に愛される人形作り、かな。「可愛い」とか「ほのぼのするね」って言われる人形。僕自身が“可愛い!”って思えるものしか作りたくないんだよね。だから作る人形全部に顔があるの。顔があるとやっぱり可愛いんだよね~。作っていると最初に目が合うじゃない? 「かわいいな~」とか、時には「こいつやばいな」とか(笑)。そういう楽しみがないと長く続けることもできないし、全然楽しくないんだよね。

一文人形

うま子:ただ可愛く作る、というより宮脇さん自身が人形自体に愛情を持って作っているから、素敵な作品ができるのね~。

宮脇さん:そうしないと、「これ1個作ったらいくら儲かる」とかそういう感覚で作っていたら売れないものもでてくるし、嫌になってくると思うんだよね。僕の家にいる猫もそうだけど、愛情を持って接していたら自然と可愛くなるんだよ。

うま子:人形さんも猫ちゃんも幸せ者ね!

宮脇さん:僕の中で人形は「売る・納品する」ではなくて、「お嫁に行かせる・里親にだす」という感覚なんだよね。お店の人が「この子お嫁にいきましたよ~」と教えてくれたり、それが一番うれしいよね。

粘土から完成するまで、40日ほどかかる

宮脇さんが20代で飛び込んだ人形作家への道。30年も続けてこられたのは、常に自分のペースで無理をせずに楽しみながら作り続け、その独特の感性で作る可愛らしい人形たちに魅了されたファンがいたから。
一般企業のサラリーマンをリタイアした当時、本当はロックバンドがやりたかったんだとも話してくれたよ。

宮脇さん:時代に逆らって生きていたくてね。要するに、かっこよく生きたかった。でも自分にはバンドの才能がなかったから。自分で創造する“ものづくり”での活動をしたいと思っていたら、たまたま職人さんと出会えたわけよ。だから、職人さんに出会わせてくれた『豊泉堂』さんには感謝しかないし、それがなければ僕は全くだめな人間だったと思う。ほかは何も持っていなかったし。

「そうしてここまで生きてきた! 」と屈託のない笑顔で話す宮脇さん(カッコイイ~~ッ!!)。

宮脇さん:だからといって、偉ぶって話すような人間にはなりたくないんだよなぁ。僕の愛情込めて作った人形たちを、お嫁にもらってくれるみなさんのおかげでここまでやって来れたわけだから。作っても売れなかったらそこで終わりだったけど、ちょうどそういうブームもあったり、「BRUTUS」の彼とか…、僕は人との巡りあわせがすごくいいんだよね。要するに、運がいいのよ。僕の才能っていうより、周りの人に恵まれたね。

「だるま鈴」はお正月や干支、季節verもあり

決められた社会のルールの中におさまる人が多い中、自分なりの“ロック”な生き方をしている宮脇さんの人柄に惹かれる人も多いと思うのよ。そんな彼が作りだす作品に今後も注目ね!! うま子も宮脇さんから熱いパワーをもらったし、ロックに生きるぞ~~!

 

◎宮脇さんの作品が購入できる店舗◎

大分市
「民芸店 ぶんご」
「トキハ本店」5F
「大分県立美術館」
「Oita Made Shop 赤レンガ本店」

別府市内
「喫茶アップル」(だるま鈴のみ予約・受注販売)
「龍巻地獄」
「湯治 柳屋」
「SELECT BEPPU」

湯布院
「玉の湯」
「亀の井別荘」
「アルテジオ」

国東
「大分空港」

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