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大学を中退して21歳で移住 コロナ禍をきっかけに見つけた夢【大分(だいぶ)、変わる おおいた移住・・Dive to Change・・④】
この記事の目次
大学生活中の心のモヤモヤ
答えはキャンプ場にあった
-斉藤さんは現在25歳ですが、佐伯市で暮らし始めたのは21歳のとき。 なぜ移住という選択をしたのですか。
ちょっと長くなってしまいますが大丈夫ですか(笑)。当時の僕は宮城県の大学に通っていたのですが、留年してしまったため2度目の2年生を過ごしていました。だけどしばらくしてコロナ禍になり、授業もリモートになってしまったことから暇な時間が増えて。そして密を避けられる、という理由からキャンプブームが起きたのもこの頃。もともと室内よりも外で過ごすことの方が好きだった自分は、見事にその魅力にハマりました。いつの間にか自らキャンプ場を経営・起業するという選択肢にも興味が湧き、それなら祖父が昔から持っている山を友人と一緒に切り開き、場所をつくることから始めてみようと動いたりもしました。
-ではキャンプ場を自らの手で経営したい、という思いから移住を?
移住が目的ではなく、結果的にそうなってしまったという答えの方が正しいのかもしれません。実はその友人がしばらくして大学のインターンシップに参加するのですが、その就業体験先が偶然にも今の僕の勤め先「株式会社 蒲江創生協会」の「道の駅かまえ」でした。会社の代表である早川光樹と彼は大学の先輩後輩関係にあたるため、ゼミの教授から“経営に興味があるなら良い場所がある”と勧められたようです。そして彼が就業体験をしている間に僕は大学を中退。もともと高校の教員になるのが夢で、昔から続けているバスケットボールをこどもたちに教えたいという目標もあったのですが…。やっぱり違うなと。この選択にコロナは関係なく、むしろ大学生として過ごした3年間の中で少しずつ違和感が積み重なっていった感じです。大学生特有のモラトリアムの期間に、「自分は何者なんだろう、何者かになりたい」みたいな漠然とした焦燥感のようなものがあり、そしてその答えの行き着いた先がキャンプでした。起業をしたいけど何ができる? お金もない、でもキャンプは好き。将来の夢がそれなら、もう大学で学ぶ意味はないと思いました。
-ご両親は驚かれたのでは?
僕がその決断をしたのが大学2年生の後期授業が始まる直前となる2020年の9月頃だったのですが、母親が授業料を2週間前に振り込んだばかりだったので…。せめて支払いを済ませる前に言ってくれって。両親は僕が教員になる姿を描いていたはずですし、今思い返すと本当に申し訳ないことをしました。
-大分の会社に就職するということも、その話し合いの場でご両親に伝えたわけですね。
それが…。まだその時点で僕が大分に向かうことは決まっていませんでした。でも“キャンプ場を経営する”という夢をかなえるためには、どこかの施設に就職してノウハウを身につけなければいけないと思っていたので、大学中退後は山形県に限らず全国のキャンプ場を検索していました。すると「道の駅かまえ」でインターンシップ中の友人から10月頃に連絡があり、“会社が佐伯市内のキャンプ場の指定管理者になろうという話が出ている。お前もこっちに来て学んでみないか?”と。こんな貴重な機会はないとすぐに心を決めました。そして翌年の2021年3月下旬に大分に来て、今年で5年目になります。両親にはすぐに言い出すことができず、実家を離れることを伝えたのは引っ越しの1週間前。でも大学の件もあったからなのか、あまり驚いた様子はありませんでした(笑)。
新天地選びの軸はキャンプ場ありき
“得られる経験値”を最優先に
-東北から九州はかなりの距離ですね。大分に来たことはあったのですか?
そもそも九州が初めてでした。西日本でさえも修学旅行で行ったきりだったはず。だけど、なんとかなるでしょ!と勢いだけで車で山形から大分に来ました(笑)。でも正直な話、場所はどこでも良かったんです。僕が探していたのは移住先ではなく、将来を見据えた勉強先。確かに知らない土地ではありますが、この時代にゼロベースに近い状態からキャンプ場の経営に携われる機会は少ないと思います。高平キャンプ場は30年以上の歴史を持つ施設ですが、過去に何度か運営者も変わっていて。佐伯市の方々にも広く知られている、というわけでもなくて。そんな施設の運営にサラリーマンでありながらも、経営者目線で関わっていけるなんてこんな魅力的な話はありません。働き先のエリアにこだわりがなかったのも、“いかに自分のしたいことが実現できるか”という部分を一番の条件にしていたからでした。
-佐伯市蒲江での生活で驚いたことは?
驚いたことも、困ったことも全くありません。“海辺に暮らす人は心が広い”という話を聞いたことがあったのですが、本当にその通り地域の皆さんが優しくて。移住にまつわるネガティブなキーワードとして「よそ者・疎外感」といった単語をよく見かけますが、僕はそれを感じたことがありません。頑張るなら応援するよ、とたくさんの方に背中を押してもらっています。
-地域に溶け込むために努力したことは?
自分で考える限りでは浮かばないですね。僕も他県から来てはいますけど、ほかの移住者の方々とはスタート地点が違います。弊社社長の早川も神奈川県出身の移住者なのですが、早川がすでに地域の皆さんとの信頼関係を築いてくれていたおかげで、僕がゼロから人間関係を構築しなければいけない状況ではなかったんです。家の手配もしてもらえたので住まいを探す必要もなく、隣の方からご近所さんまで、みなさんを紹介してくれました。本当に至れり尽くせりで、恵まれていると思います。
-土地柄、不便さを感じることはありませんか?
僕自身が田舎育ちなので、不便なことは当たり前。コンビニが近くにないことも、夏になるとカエルの大合唱が始まることにも驚きはありません。
-夢だったキャンプ場での仕事はどうですか。
移住直後からキャンプ場での仕事がスタートしたわけではなく、最初の1年間は直売所やレストランなど、道の駅でさまざまな部署をまわってスタッフとしての経験を積みました。いよいよキャンプ場の運営を担当すると、より良い場所にしようと僕を誘ってくれた友人と一緒に意見を交わしながら、県内キャンプ場の全ての施設を視察しました。大変なこともありますが、やっぱりキャンプ場の仕事は楽しいです。
-斉藤さんの思い描く理想のキャンプ場とは?
ここは道の駅の系列施設になりますし、蒲江と言えばやっぱり魚。全国的に見ても特色のある独自の方向性を展開したかったので、まずはキャンプ場でありながらも新鮮な海の幸を楽しめるプランを用意しました。施設には元々食堂があったことから立派なキッチンがあり、使わない手はないのでカフェとして引き継ごうと決めて。この眺望を活かしたサウナもできたら面白いと考えて新設しました。今はこの場所を複合施設のような存在に進化させていきたいと考えています。昔からサイクリングや草スキーもできますし、展望公園としても機能するこの場所には日帰りの方も多く訪れます。幅広い年齢のお客さんに足を運んでもらえるような場所にしたいですね。
まず大切なのは郷を知ること
その先に生まれる人間関係がある
-今の夢はこの場所を複合施設にすること。
そうですね。移住した当初は5年後くらいに山形に戻り、キャンプ場を運営したいと思っていたのですが今は考えが変わってきています。どちらかと言うとキャンプは手段。今はそのツールを使って蒲江を盛り上げていきたい!という思いが強くなりました。地域の方はよく、過疎化・少子化というネガティブな言葉を口にするのですが、移住者である僕からすると、これだけ景色が良くて魚がおいしい地域って貴重だと思います。こんなに素晴らしい地域をこのまま廃らせてしまったらもったいないじゃないですか。でも僕が蒲江のために今できることは、キャンプ場という範囲だけ。小さいかもしれないけれど、それでも還元できることはしていきたいと思っています。そのためには高平だけが盛り上がっても意味がないので、せめて人を呼ぶ複合施設として地域の助けになりたい。佐伯を好きになってくれる人を増やしていきたいです。10人いたら10人に違ったように映るキャンプ場でありたいかな。
-もうすぐお子さんも生まれますね。
来月に控えています。だからほぼ永住かも、という気持ちですよね(笑)。結婚は1年くらい前で、奥さんは蒲江の人です。
-子育てが始まるにあたり、心配事はありませんか?
教育面では少し気になることがあります。こどもが大きくなったときは、高校が遠くなるので通学が大変とか、小さい頃なら保育所問題もあるみたいです。でも妻の実家も近いし、会社も柔軟な対応をしてくれるので…。こればかりは子育てが始まってみないと想像がつかないですね。
-最後に、移住を検討中の方にアドバイスをお願いします。
移住を考えていて、仮に当時の僕みたいな状況であれば動いた方が良いと思います。移住先でその土地の方々と良い関係を築けなかったとしても、地元に戻ればその人たちと再び出会う可能性は限りなくゼロに等しいわけですから。だからこそ失敗を気にする必要はないのかなって思います。冷めた表現になるかもしれないですけど、それくらいに考えていた方が気が楽です。あとは僕もそうだったのですが、考え方は変わっていくので。フットワークを軽くして現地の人と触れ合い、交流を続けていればわかることがあるはずです。それから移住の良いところは、誰でも物語の主人公になれるところですね。蒲江に来ていなければこのような取材も受けてないですし(笑)。
もちろんただ新天地で待っているだけではダメ。その場にいるだけで移住者をもてはやしてくれる、ということは決してないですから。そう考えると、“郷に入っては郷に従え”という言葉はやっぱり大事なのかな。その土地にある風習やコミュニティを理解しないままでは虎の尾を踏む、というリスクがありますので。蒲江であれば、周囲に頑張る姿勢を見せることですね。そして飲み会の誘いは断らない(笑)。タフさは必要かもしれませんが、僕は大好きな町ですよ。
住まいを移すと自らを取り巻く人間関係や、周囲の環境にも変化が生まれます。新たな土地で叶えたかった夢でさえ、別の目標にアップデートされるかもしれません。ですがそんな経験を通じ、見えてくるのがきっと本当の自分。変わることは当たり前。その波を恐れず、求める未来に向かって舵を切る斉藤さんの姿が印象的でした。
<移住者メモ>
お名前 | 斉藤慶太さん |
出身地・前住所 | 山形県 |
現住所 | 佐伯市 |
年齢 | 25歳 |
家族構成 | 妻、こども1人 |
電話:050-5527-1821
営業時間:IN13-00〜 OUT翌11:00※カフェ10:00〜16:00
定休日:水曜
HP:https://www.instagram.com/tcf__top
大分県では、20・30代の皆さんに向けて、無料でITスキルの習得やFP(ファイナンシャルプランナー)資格取得のサポート、伴走型の転職支援を行っています。
詳しくはこちらの特設サイトまで!
▶https://tensyoku-oita.com/
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斉藤さんに聞いた、佐伯市のおすすめスポット
①道の駅かまえ Buri Laboratory
山形からやってきた僕が初めてたどり着いた場所。すべてのスタート地点となったのが、この道の駅になります。お客さまとの出会いや蒲江という町の地域性、魚がこんなにもおいしいということにも気付かせてくれました。
電話:0972-42-0050
営業時間:9:00〜17:00※レストラン11:00〜15:00(LO14:30)
定休日:月曜
HP:https://www.instagram.com/burilabo
②山海楼
体がしょっぱいものを欲するサウナ後に、よく1人で足を運ぶ中華料理店。お気に入りのメニューは唐揚げで、サイズも大きく食べ応えがあります。店を切り盛りするご夫婦の仕事ぶりを、カウンター越しに眺める時間も好きです。
③ 蒲江の海山の風景
佐伯市内には鶴見や米水津をはじめとする海の町がありますが、養殖の生簀(いけす)や定置網など、漁師町ならではの風景をこれほど体現した地域は蒲江だけだと思っています。こんな素晴らしい場所で育まれた食べ物は絶対にうまいよねって、目で見るだけでわかります。
大分県/佐伯市/蒲江/移住/田舎移住/おおいた暮らし/自然/海/山/キャンプ場/海鮮
●佐伯市移住・定住公式Instagram
https://www.instagram.com/saikicityijuteiju
●佐伯市移住者向けポータルサイト
https://saiki-iju.com
大分県には、全国各地から様々な移住者の方が集まっています。
この連載記事では、それぞれの移住のきっかけや、今の暮らし、移住してよかったこと・こまったこと、今後のビジョン、住んでいる各市町村の支援情報など、移住者のリアルを取材していきます。
運営:大分県
制作:おおいたインフォメーションハウス株式会社
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〈大分県への移住に関するお問い合わせ先〉
大分県 おおいた創生推進課
電話:097-506-2038
mail:a10113@pref.oita.lg.jp
受付時間/8:30~17:15( 土・日曜、祝日を除く)
〈大分県 移住公式サイト〉
〈大分県移住イベント特設サイト〉
〈オンライン移住相談窓口を開設しています〉
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